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高遠(たかとお)について |
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長野県高遠町は、現在は伊那市に編入されましたが、以前は上伊那地区の政治・経済・文化の中心として栄えました。
その歴史は古く、「吾妻鏡」にも、「御寄進地黒河内(くろごうち)藤沢」(現在の長谷村と高遠町あたり)という記述が見えます。
日本城郭協会より「日本100名城」にも選ばれた「高遠城」ですが、最初の築城の時期は未詳なものの、12世紀の後半には改修の記録があるようです。その後、諏訪の諸族との戦いなどを経て、16世紀の中頃に武田信玄の命を受けた山本勘助らが高遠城を大改修しました。その後のことは、昨年の大河ドラマ『風林火山』などでお馴染みのことと思います。
「高遠藩」は教育活動に熱心で、現在でも城址公園に建物が遺る「進徳館」からは、多くの教育者が輩出しました。高遠藩士であった父を持つ伊沢修二・多喜男の兄弟は、兄は初代東京音楽学校(現在の東京藝術大学)長などを、また弟は台湾総督・東京市長などを務めています。
「高遠 長藤文庫」のある栗田という集落は、隣の四日市と並んで、17世紀の後半に宿場として整備されました。現在の建物にもその名残があり、入って右側の部屋は厩だった、とか。以前、正面のお宅の御主人にお話をお聞きした時には、明治初頭まで、旅籠として店を構えていたようです。
店の前を通る道路が杖突街道(国道152号線)です。ここから少し杖突峠よりに、御堂垣外(みどうがいと)という宿場町の集落があるのですが、ここから甲州街道金山宿に抜ける道を経て、高遠藩の人びとは江戸に向かいました。新宿の内藤氏が高遠藩主だったこともある関係から、伊那市と新宿区は友好姉妹都市となっています。
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